気象技術の教室 1  天気系の解説と事例解析


天気系の解説


温帯低気圧の発生・発達と環境場
                          山岸 米二郎

(各章へジャンプ)
2.概念モデルの改善
3.低気圧の発生と時間経過の多様性と環境場 −シャビロの試み−
4.南岸低気圧の発生・発達・時間経過と環境場
5.謝辞


1.低気圧と前線に関する多様な概念モデル
温帯低気圧(以後低気圧)は、中・高緯度地帯の日々の天気変化に最も大きな影響を及ぼす気象といえる。 ベルゲン学派の寒帯前線モデル(例えば J.Bjerknes、1919、J.Bjerknes and H.Solberg,1922)が提出されてからおよそ90年が経過した。 前線面の力学的不安定による低気圧の発生という寒帯前線モデルの考え方は傾圧不安定性による低気圧の発生という考え方に替わるなど、理論、観測技術、数値シミュレーションの進歩により気象学が大きく発展し、温帯低気圧と前線に関しても様々な概念モデルが提案されている。 例えばShapiro他(1999、以下S1999)は低気圧の発生、前線の生成と強化および形態変化と時間経過等について、以下に示す21の概念モデルを列挙している。


傾圧不安定(baroclinic instability)、上層の前線(upper level fronts)、圏界面の折りたたみ(tropopause fold)、ジェットストリーク(jet streak)、split flow、uanbalanced jets、 スプリット寒冷前線(split cold fronts)、上層の寒冷前線(cold fronts  aloft)、コンベアーベルト(conveyor belts)、バロクリニックリーフ(baroclinic leaves)、乾燥貫入(dry intrusions)、前線断裂(fronntal fructures)、T−ボーン前線(T−bone fronts)、ベントバック前線(bent−back fronts)、前線性セクルージョン(frontal seclusions)、速成閉塞(instant occlusions)、逆向きトラフ(inverted trough)、障壁ジェット(barrier jets)、 沿岸前線(coastal fronts)、前線崩壊(frontal collaps)、frontal gravity-current-like heads、総観規模低気圧内のメソスケール渦(mesoscale vortices within synoptic scale cyclones。


2.概念モデルの改善 Topへ
 上で挙げられた多くの概念モデルを見れば、低気圧の発生、発達とそれにともなう前線の形態変化が、寒帯前線モデルという唯一の概念モデルで理解された”幸福な時代”が過去のものであることは明らかである。  概念モデルの多様さは温帯低気圧が時間発展の過程で多様な様相を示すことの反映であり、また我々の理解が深まっていることの証でもある。しかしこれ程多くの概念モデルを列挙されると、S1999がいうように、”なかには類似なものがあるのではないか(T−ボーンベントバック温暖前線セクルージョンとバックベント温暖前線オクルージョンは類似なものではないのか)”とか ”同じ現象あるいは同じ力学過程を言い換えているに過ぎないのもあるのではないか”?等々の疑問もわきかねない。概念モデルの更なる改善を目指すと共に、類似な概念モデルを統一的な像にまとめる努力も必要であろう。  おそらく一事例の低気圧の時間発展ですべての概念モデルの側面が、明瞭に見られるわけではなく、ある環境場ではA概念モデルに適合する時間経過があり、別の環境場ではB概念モデルに適合する時間経過があるというような多様性があると思われる。  概念モデルの改善には二つの方向がある。前節で列挙された概念モデルには前線の周りの鉛直循環、乾燥貫入、Tボーン構造、コンベアベルトなどメソ的構造に関するのが多い。一つの方向はこれら個々のメソ的構造に関する概念モデルを更に改善すると共に可能な統合を目指す方向である。もう一つは低気圧の発生過程とか低気圧と前線のライフサイクルなどの総観的構造の時間経過の多様性を、よりスケールの大きい環境場の影響に着目して概念モデルに整理することである。

3.低気圧の発生と時間経過の多様性と環境場 −シャビロの試み−
Topへ
 ホスキンスとウエスト(Hoskins and West,1979)、ソーンクロフト他(Thorncroft et al. .,1993)、ワーンリ(wernli、1995)等は数値シミュレーションで低気圧や前線形態の時間経過を調べ、それが対流圏下層から上層まであまり変わらない風速の水平シアーの存在に大きく影響されることを示した。 S1999は大気中の大規模な風速水平シアーが亜熱帯ジェット気流(Sジェット)と寒帯前線ジェット気流(Pジェット)の分流や合流などの相互位置関係に大きく依存することを解析事例で示した。 S1999はこの事実と上記の数値シミュレーション結果を踏まえ、SジェットとPジェットの相互位置関係をベースに、低気圧や前線のライフサイクル、上流発達、下流発達と低気圧家族の形成、前線上の2次低気圧の発生などの概念モデル化を試みた。この際S1999は低気圧の時間経過に影響を及ぼす環境場は長波(注1)の場で表しうると仮定し、長波の場をSジェットで代用している。
 図1(S1999)は、PジェットとSジェットの三つの相互位置関係に対応して前線形態の三つの異なる時間経過が生ずるという作業仮説を示す模式図である。
 左側はSジェットの暖気側(高気圧性シアー域)に低気圧があって閉塞が起こりにくい。 真ん中の場合はPジェットとSジェットが合流していて一つの幅広い強風軸があり、閉塞形態はTボーン構造のシャビロモデルタイプ(Shapiro,M.A.,and D.Keyser,1990)となる。 右側の場合は低気圧中心がPジェットの寒気側で強い低気圧性シアー内にあり、ベルゲン学派の寒帯前線モデルタイプの閉塞形態となる。  図1についてのシャピロの議論の詳しい紹介は省略するが、ジェット気流は対流圏中・上層の総観場を把握する際の重要な要素だから、低気圧の発生・発達と時間経過の多様性を、SジェットとPジェットの相互配置と関係づけて概念モデル化する考え方は総観図の把握に大変参考になる。

図 1

注1:
移動性の高・低気圧に対応する対流圏中・上層の波(波数8〜20)を短波、波数1〜5程度の波長の長い波を長波と呼ぶ(AMS Glossary)。上の短波、長波をそれぞれ、長波、プラネタリー波(惑星波)と呼ぶこともあるが、ここでは短波、長波の用語を用いる。



4.南岸低気圧の発生・発達・時間経過と環境場        Topへ
 南岸低気圧とは、東シナ海または四国沖に発生し、日本列島の南岸沿いを東北東進する低気圧(気象科学事典)の俗称である。 但し以下では、中国大陸南部で発生する低気圧も南岸低気圧に含める。 【気象の教室3の「気象事例の解析」No.4、「南岸低気圧の発生・発達」】で、南岸低気圧の発生と時間経過などの特徴を生ずる環境場を、S1999にならってPジェットとSジェットの相互配置と相互影響に着目して考察する予定である。
以下に何故南岸低気圧に着目したのかという問題意識を述べる。

4−1 日本付近と北アメリカ大陸の違いの観点
 日本付近と北アメリカ大陸東岸は長波の谷が停滞しやすいという類似点があるが、次に説明するように低気圧活動の季節変化は大きく異なる。  山岸(2007)は極東域と北アメリカ大陸との低気圧や前線帯の発生や季節変化の違いを詳しく検討しているが、ここでは低気圧発生の季節変化の一部を再緑する。
 図2は、低気圧の発生数の季節変化を緯度別に示していて、(a)はユーラシア大陸東部域(東経60〜160度、北緯20〜70度、Chen et al、1991)、(b)は北アメリカ大陸域(西経50〜150度、北緯20〜80度、Whittaker and Horn,1981)である。 北米領域では低気圧発生数の極大域は一つで、秋から春にかけては北緯35度〜40度にあるが6月ころ不連続的に北上し、10月頃不連続的に南下する。一方ユーラシア大陸東部域では北緯45〜50度に年間を通じて極大域があり、発生数は春と秋に多く冬季に少ない。 一方これとは別に北緯30〜40度にも極大域があり、北側の極大域の発生数が少ない時期に発生数が多い傾向がある。南側の極大域が南岸低気圧に対応していると考えられる。
 図3は、北米大陸域(太点線、WH、Whittaker and Horn,1981)とユーラシア大陸東部域(細実線、破線と一点鎖線、CH、Chen et al.、1991)の低気圧発生数の季節変化を示す。 図2からも推定されるように北米大陸域では冬から早春に発生数が多く、ユーラシア大陸域では春と秋に発生数が多く冬季に発生数が少ない。  Nakamur(1991)、中村・三瓶(2005)は傾圧性擾乱の振幅の季節変化について極東・北西太平洋域と北米東岸・北西大西洋域の比較を行い、前者は図3のユーラシア大陸東部域、後者は北米大陸域と基本的に同等な季節変化をすることを示し、この違いが生ずる原因を考察している。
 筆者はこの節の冒頭で述べてように、今後【気象の教室3、「気象事例の解析」No.4、「南岸低気圧の発生・発達」】で、南岸低気圧の発生や時間経過の様々な形態の具体事例を総観的に示すことで検討の材料としたい。



図 2



図 3
4−2 大規模な気団分類の観点
 図4はパルメンとニュートン(Palmen and Newton、1969)が大循環的観点で気団を寒帯気団、中緯度気団、熱帯気団の三つに分けた緯度・高度断面の模式図である。 この気団分類に対応する子午面内の三細胞の循環と地上付近の流れと前線帯の模式図が図5(パルメンとニュートン、1969)に示されている。
 どちらも大循環の本質をわかりやすく的確に表現していて、解説書にしばしば引用される。  図4では中緯度気団と熱帯気団の境界が対流圏上層にのみ存在していて、地上の亜熱帯高気圧がSジェット付近からその北方にあって寒帯前線に接している。
 一方、図5の平面図では亜熱帯高気圧を廻る熱帯気団の気流が寒帯前線に吹き込み、前線後面の寒帯気団の気流が熱帯気団域まで大きく南下している。 つまり図4、図5とも地上付近では寒帯気団と熱帯気団が接している。 季節や場所により図4、図5の模式図からの偏倚があるのは当然であり、日本付近では地上亜熱帯高気圧は通常Sジェットの南にあり、高気圧の周辺をまわる南よりの縁辺流がSジェット付近にある前線、例えば梅雨前線あるいは南岸低気圧に伴う前線帯に向かって吹き込んでいる。
 図4と図5の大循環の模式図と日本付近の日々の天気図との大きな違いは、日本付近では対流圏下層でも中緯度気団と熱帯気団の境界がしばしば存在することであり、それはSジェットの近傍に発生する南岸低気圧の存在に端的に現れていると見ることができる。
 筆者は、このような見方を多重前線の存在として指摘したことがある(山岸、2007)。 ここでは南岸低気圧に着目して具体的に検討する 。



図 4



図 5
4−3 低気圧の発生・発達のモデル化の観点
 上層の流れと対応する地上低気圧の発生と時間経過のモデルとしてはパルメンとニュートン(1969)がよく知られている(図6(T)。(a)、(b)、(c)は時間経過を示す)。図の太実線と細実線はそれぞれ500hPaと1000hPaのジオポテンシャル高度、破線は500hPaと1000hPaの層厚である。 500hpaの風速は示されていないが、ジオポテンシャル高度線の間隔の狭いところが強風帯と見なせる。 これから推定すると発生初期の地上低気圧の中心は500hPaの強風軸の少し暖気側にあり、時間の経過につれて低気圧中心は500hPaの強風軸の寒気側に移動している。
 対流圏中層の正の渦度移流域が下層の傾圧帯に近づくと低気圧が発生すると考えたペターセン(Petterssen,1955)のモデル(図6(U) (a)、(b)、(c)は時間経過を示す)も地上低気圧の発生は上層の強風帯の南側と見なせる。
 図6(T、U)の対流圏中層の強風帯は特に断りはないが、Pジェットに対応する強風帯(軸)と見なすのが妥当である。 一方南岸低気圧はSジェットの近傍で発生する。 Sジェットの前線面は寒帯前線面より傾斜が小さく、通常400hPa〜500hPaより上層にのみ存在する。 南岸低気圧と対流圏中・上層の強風帯との位置関係はどのようになっているのであろうか。 Sジェットは南岸低気圧の発生にどのような役割を果たしているのであろうか。
 また図6のモデルは、上層に一つの強風軸が存在する時のモデルである。 PジェットとSジェットの二つの強風帯が存在するときは、どのような時間経過となるのであろうか 。



図 6
4−4 南岸低気圧の特徴の分類
 南岸低気圧といっても発生の機構や時間経過も1種類ではなく多様な形態があり得る。 高藪(takayabu、1991)はPジェットに伴う上層の擾乱と南岸低気圧に対応する下層の擾乱のカップリング発達を解析と数値シミュレーションで調べている。 高野(1999)、高野(Takano、2002)は南岸低気圧の時間経過と前線形態の特徴を論じている。 一方櫃間(2006)は南岸と日本海のほぼ同じ経度に二つの低気圧が存在する二つ玉低気圧が日本の天気に重要な影響を持つことを指摘している。 筆者は南岸低気圧の発生場所や発生時の環境場の特徴、時間経過や前線形態の変化、二つ玉とか吹き上げタイプなどの、様々な特徴に着目して南岸低気圧の特徴と環境場を整理して提示することから出発する。 その際寒帯前線近傍で発生する低気圧と南岸低気圧との違いに着目して、極東域に特徴的な低気圧活動の観点で整理することをめざす。

5.謝辞
       Topへ
気象の教室に掲げる記事全部についていえることであるが、立平良三氏から貴重なご意見、コメントをいただいて修正に反映している。御礼申し上げます。

文献
・Bjerknes,J., 1919:On the structure of moving cyclones.Geofys.Publ.,1,No.1,1-8.
・Bjerknes.J,and H.Solberg,1922:Life cycle of cyclone and polar front theory of atmospheric circulation.Geofys.Publ.,3,No.1,1-18.
・Chen, S.J.,Kuo,Y.H.,Zhang, P.Z., Bai, Q.F.,1991:Synoptic Climatology of cyclogenesis over East Asia, 1958-1987. Mon.Wea. Rew., 119, 1407-1418.
・Hoskins,B.J., and N.V.West, 1979:Baroclinic waves and frontgenesis Part U:Uniform potential vorticity jet flows-cold and warm fronts.J. Atmos. Sci., 36, 1663-1680.
・Nakamura, H., 1992: Midwinter suppression of baroclinic wave activity in the Pacific .J. Atmos. Sci., 49, 1629-1641.
・Palmen , E., and C. W. Newton , 1969: Atmospheric Circulation Systems. Their Structure and Physical Interpretation. Academic Press, 603pp.
・ Petterssen,S., 1955: Weather analysis and forecasting, U. New York: Mcgraw-Hill.
・Shapiro, M.A., and D. Keyser,1990: Fronts, jet streams and the tropopause. Extratropical Cyclones: The Erik Palmen Memorial Volume, C. W. Newton and E.O. Holopainen, Eds., Amer. Meteor. Soc., 167-191.
・Shapiro,M., H.Wernli, J.W. Bao, J. Methven, X. Zou, J. Doyle, T.Holt, E. Donall-Grell and P. Nieman, 1999: A planetary-scale to mesoscale perspective of the life cycle of extratropical cyclones: The bridge between theory and observations. Life Cycle of Extratropical Cyclones. M.A. Shapiro and S. Gronas, Eds., Amer. Meteor. Soc., pp139-186.
・Takano,I.,2002: Anakysisi of an intense winter cyclone that advanced along the south coast of Japan. J.Met. Soc. Japan,80, pp.669-695.
・Takayabu, I., 1991: "Coupling devekopment ", An efficient mechanisim for the development of extratropical cyclones. J.Met. Soc. Japan,69, pp.609-628.
・Thorncroft, C. D., and B.J. Hoskins, and M.E., Mc Intyre, 1993: Two paradigms of baroclinic wave life cycle behavior. Quart. J. Roy. Meteor. Soc., 119,17-55.
・Wernli,J.H., 1995: Lagrangian perspective of extratropical cyclogenesis. Dessertation No.11016, Swiss Federal Institure of Technology (ETH), Zurich.
・Whittaker, L. M. and Horn L. H. 1981:Geographical and seasonal distribution of North American cyclogenesis. 1958-1977. Mon. Wea. Rev. 109, 2312..
・中村 尚・三瓶岳昭、2005:2−1. 寒候期における極東域の低気圧活動の特徴。天気、52、 760−763。
・永田雅:2004年秋季大会シンポジウム「極東域の温帯低気圧」の報告所収。
・永田雅、2005:2004年秋季大会シンポジウム「極東域の温帯低気圧」、天気、52、733−770。
・高野功、1999:冬季の南岸低気圧と新しい低気圧モデル−1994年2月12日の自邸について−。気象研究ノート193号、つくば域降雨観測実験。吉崎正憲、中村一、中村健 櫃間道夫、2006:二つ玉低気圧。天気、53、519−523。
・山岸 米二朗、2007:気象予報のための前線の知識。オーム社。




閉じる