気象技術の教室 1  天気系の解説と事例解析


気象事例の解説


温帯低気圧の熱低化

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2.低気圧の環境場
3.気象衛星・レーダー資料による特徴
4.数値予報モデルはこの低気圧を予想したか
5.議論

はじめに
 日本付近で熱帯低気圧の構造が温帯低気圧の構造に変化することを象徴的に’台風の温低化’と呼んでいる。ここでは台風の温低化と反対に、温帯低気圧が熱帯低気圧に類似な構造に変わった事例を紹介する。 2008年4月7日9時に九州の東にあった比較的規模の小さい低気圧は、日本の南岸を東進して8日9時には関東地方の南に達した*。 この低気圧はこの間に中心付近の構造が熱帯低気圧に類似な構造に変化した。 各種資料で変化の経過を示し若干の考察を行う。
*:事例解析No.1では、この低気圧に伴う地形性降雨が議論されている。

1.低気圧の主要な特徴
 この低気圧の特徴は、非常に急激な発達を示したこと、水平規模が小さく中心付近で非常に大きな気圧傾度があったこと、最盛期には中心付近で地上から400hPa付近までほぼ鉛直に周囲より気温が高い構造であったこと、衛星画像では熱帯低気圧と類似な雲パターンが見られたことである。
 図1は、2008年4月7日9時の地上天気図である。 九州東部にあって前線を伴わない1006hPaの低気圧がこれから議論する擾乱である。 この低気圧の西側には高気圧が見られず(寒気が無く)、大陸まで低圧部が続いているとも言える(図示された1012hPaの等圧線参照)。 この低気圧は、東進して8日9時には関東地方の南に達し、980hPaに発達した(図2)。  等圧線はほぼ同心円状で規模が小さく、中心付近で気圧傾度が非常に大きい(後で三宅島測候所の時系列データで再度議論する)。
 気象庁発表の天気図から、低気圧の中心気圧の時間経過を表1に示す。

    表 1


海上の観測データはないが、三宅島では8日7時に980.3hPaの海面気圧を観測している。 表1によれば夜半頃から急激な発達が始まり、中心気圧は7日21時から8日9時までの12時間で、温帯低気圧では珍しく20hPaも深まった。 低気圧の通過時に伊豆半島および伊豆諸島の6地点
**で最大瞬間風速が30m/s以上を記録した。



図 1

図 2

 図3は、8日9時の気象衛星可視画像(a)とレーダ合成画像(b)である。 衛星画像は熱帯低気圧が温帯低気圧に変わる時期の雲画像に類似している。 但しこのような雲画像は閉塞した衰弱期の低気圧でも見られることがある。 レーダー画像でも熱帯低気圧の眼の周辺の雲やスパイラルバンドに類似な降雨帯が見られる。
 図4に8日9時の気象庁の毎時大気解析の東経140度線に沿う鉛直断面図を示す(原、2008)。 実線は温度、風速はノットで通常の表示で示す。 図でAが北側、Bが南側である。 低気圧の中心付近は地上から400hPa付近まで周囲より高温となっている。 これは温帯低気圧よりも、熱帯低気圧に類似な構造と言える。 但し図のAB間の距離は、690km程度なので、周辺より温度の高い部分は500hPaでほぼ200kmの広がりとなり、眼のなかの数10km程度の範囲で非常な高温な典型的な熱帯低気圧との量的な比較は無理で、定性的な類似といえる。
 図5に低気圧中心がすぐ南を通過した三宅島測候所の毎時の海面気圧(実線、P、hPa)、気温(長点線、T、℃)、風向、風速(点線、V、m/s)を示す。 低気圧の移動速度は毎時25km程度とみられるので、中心付近の気圧傾度は〜10hPa/100kmの大きさで、図2の解析を裏付けている。 この気圧傾度は典型的な熱帯低気圧の中心付近の気圧傾度、〜50hPa/100kmよりはるかに小さいが、非常に発達した低気圧の気圧傾度、〜5hpa/100kmのおよそ2倍である。 気温や風速は複雑な分布をしているが、中心付近で暖かいと言えそうである。 規模が小さくて中心付近で大きな気圧傾度、急激な発達、中心付近で鉛直に上層までつながる高温部の特徴が、通常の温帯低気圧と異なる特徴であることを述べた。 次により広く総観場との関連を検討する。


図 3

図 4

図 5

**
: 網代(34.5m/s、NNE)、稲取(33.3m/s、NNE,8日8時40分)、石廊崎(32.4m/s、ENE)、大島(32.3m/s、NNE)、
   三宅島(31.5m/s、NNE)、八丈島(35.1m/s、W)。(括弧内は風速、風向、起時(10分毎))。

2.低気圧の環境場                         Topへ
 図6は、7日09時の500hPa(a)と850hPa図(b)である。 図6(a)、(b)とも130E付近にトラフがある。 図1で九州東部にある地上低気圧はこのトラフに対応して6日21時に済州島の西で初めて解析された。 図(a)によれば寒帯前線ジェット気流が50N、110E付近で分流し、南側の分枝が九州の北でトラフを形成しているがほとんど寒気を伴っておらず、500hPaの傾圧帯は弱い。 地上低気圧の中心は、500hPaの強風軸のほぼ真下にある。 図6(b)では26N、150E付近から九州付近を通り、華北に延びる傾圧帯があるが、図1で述べたように、トラフ後面での寒気南下は見られない。
 図7は、8日09時の500hPa(a)と850hPa図(b)である。 図7(a)、(b)とも地上低気圧の上に同心円状の低気圧があり、中心は500hPaの強風軸の寒気側にある。 中心の東側で暖気が北上し、850hPaでは低気圧の後面で寒気が南下し、閉塞した低気圧の上空の寒冷渦に類似な形態である。 図5で見られた低気圧中心前方の高温は、この温度分布に対応しているのであろう。 しかし子細にみると低気圧の中心付近に寒気が見られず、中心付近の高温(図4)に対応して下層ほど低気圧が顕著であるなど、寒冷渦の構造とは全く異なる。中心付近の高温が顕著でなく、強風軸の寒気側で環境場の気圧傾度も小さいので300hPa(図省略)でも閉じた低気圧が残っている。 大きく見れば閉塞した温帯低気圧の構造であるが、中心付近に限れば熱帯低気圧の特徴があると言える。 次に気象衛星やレーダーの資料も加えて低気圧発達の時間経過を検討する。


図 6 (a)

図 6 (b)

図 7(a)

図 7(b)
3.気象衛星・レーダー資料による特徴            Topへ
 図8に、7日15時(a)、21時(b)、8日3時(c)、8日9時(d)の6時間毎の低気圧近傍の気圧分布の時間変化を示す。 図9は、7日21時の500hpa(a)、850hPa(b)図である。
 図8で低気圧の気圧変化を見ると、7日9時から15時にかけては1008hpaの等圧線の領域が拡大したが、それ以後は等圧線の領域拡大は目立たず、中心付近で気圧傾度が大きくなっている。 いわばスケール縮小で、この頃から発達の機構が変わったことが推測される。 そして図9(b)(7日21時)の850hPaでは、低気圧の中心付近は暖気域となっている。 図9(a)の右下に、500hPa図のなかにX印で地上低気圧の位置を示す。 7日21時では地上低気圧の中心は、500hPaの強風軸より寒気側に位置している。 ここでの検討に基づき、7日21時前後に着目してレーダーと衛星の画像の特徴的変化を調べる。 気象衛星画像では、7日18時に大きな変化が現れた。 それまでの比較的一様な雲域の南西端に、径が220km程度の強い積乱雲活動を示すほぼ円形の雲域が出現し、21時でも明瞭に見られる。
 図10に18時の強調画像を示す。 雲頂温度が低い円形(黄色)の領域があり、最も温度の低い赤色が中心から南西に延びている。 図11は、7日12時(a)、15時(b)、18時(c)、8日1時(d)のレーダー合成図である。 18時までは広いエコー域の西側に北東から南西あるいは南北に延びる相対的に強い帯状のエコーがあるが、18時(図(c))には帯状エコー域の南に半円状のエコー域が見られる(矢印)。 このエコー域の位置は、図10の雲頂温度の低い雲域の南側の部分に対応している。 完全な同定は困難であるが、この付近のエコー域から8日1時(図(d))には熱帯低気圧の眼に類似した構造(矢印)が形成され、その北側に東西に延びる帯状エコー域が現れ、エコー域全体も眼を囲むバンド状構造となっている。 気象衛星画像とレーダーエコーを検討すると、7日18時で確認できる積乱雲活動による潜熱放出が熱帯低気圧に類似な構造の形成に作用したことが推定される。


図 8

図 9 (a)

図 9(b)

図 10

図 11
4.数値予報モデルはこの低気圧を予想したか       Topへ
 図12に、8日9時に対するMSMモデルの12時間予想(初期値7日21時)の地上気圧(実線)と前1時間雨量を示す。 低気圧の中心気圧は、989hPaで実況より9hPa高い。 図2と比較すると1008〜1000hPaの等圧線の大きさは、解析値とほぼ等しく1000hPa以下の強い気圧傾度が予想されていない。
 図13は、全球モデルによる12時間予想(初期値7日21時)である(予想地上気圧は985hPaであった)。 図(a)は予想された925hPaの風とショワルターの安定指数(SSI)に解析雨量を重ねて示す。 低気圧の中心付近ではSSI≦1の安定度の小さい空気塊が予想されている。 図(B)には同じ図で低気圧中心付近を通る断面図が示されている。 中心付近の下層ではほぼ鉛直に延びる上昇流があって、高相当温位空気塊が下層から中層まで達している。 また中心付近では断面に直交する風の成分は弱く鉛直シアーがほとんど無い。 これらの結果から見るとMSMも全球モデルもこの低気圧の構造を不十分ながら予想し得ていたと言える。


図 12

図 13 (a)

図 13(b)
5.議論                                Topへ
 熱帯低気圧の発生・発達には高い海面水温が必要とされている。 今回はどうであったか。  図14に、2008年4月8日の海面水温を示す(気象庁)。 本州南岸近傍の海面水温はたかだか20℃で、熱帯低気圧が通常発生する海域の海面水温(〜27℃以上)よりはるかに低い。
 図15に、4月7日09時のGSM初期値で地上気圧(実線、相当温位(点線)、流線(矢印)を示す。 低気圧近傍には相当温位の高い区域が南から延びていて、西側からの流れも暖気移流となって低気圧の中心付近の達しており高温の維持に好都合なことが推測される。
 図16に、暖気域にある南大東島の7日09時の状態曲線を示す。 650hPaより下層でほぼ飽和しているが全体に気温減率が大きく、ショワルター安定指数は−0.79である。 この時鹿児島のショワルター安定指数は、1.03でこの領域は鉛直安定度が低いことを示している。 下層の湿潤空気、低い鉛直安定度が積乱雲の発生に好都合な場を提供したのであろう。 図1でも指摘したが、この図からもわかるように、西側に強い寒気が見られないことが前線を形成することなく、通常の温帯低気圧と異なる発達過程となるのに好都合だったと思われる。 また21時では地上低気圧はすでに対流圏中層の強風軸よりも寒気側で風の鉛直シアーの弱い領域にあった。 これも傾圧的発達でない過程をとるのに好都合であったと考えられる。 南東からの流れと九州付近から南で、西から南よりに方向を変えた流れが収束する区域が、低気圧中心付近から南に見られる。 この収束域が帯状の降水域を発生させていると見られる(図11(a)、(b)など)。 中心気圧が950hPa以下となるような強い熱帯低気圧では、中心付近の地上の相当温位は普通350K以上である。 今回の場合、気温19℃、相対湿度90%、気圧1000hPaとすると相当温位は325Kで、典型的な熱帯低気圧の場合よりおよそ30K低い。 気温が低いので凝結熱の放出も少ないが、既に存在している低気圧による下層収束で中心付近で積乱雲が発生すれば、熱帯低気圧の場合と類似な機構で発達し得るであろう。 海面温度が低いことは、暖気核を持つ強い低気圧の発達を不可能にするが、他の条件が好都合であればそのような構造を持つことの妨げにならないと考えられる。  熱帯低気圧は摩擦収束で中心付近に集まる空気塊が、海面から顕熱と水蒸気の補給を受け、目の壁雲内で多量の潜熱が放出されて暖気核を形成することで自励的発達が起こる。 今回の事例は気温と海面温度の差が小さくて海面からの補給が小さい。また20℃程度の低い温度なので水蒸気の補給は顕熱補給に比して相対的に小さい。 下層の暖湿気流の移流で好都合な場所で対流が生じ、熱帯低気圧に類似な構造が一時的に見られても長続きしなかったと考えられる。




図 14

図 15

図 16
【補足】                                               Topへ
(1) 新田、黒田両氏からはこの事例の特異性についてのコメントと、ここでは使用しなかったが資料の提供を頂いた。 御礼申し上げます。
(2) この報告を完成した後で、BAMS(2004)の The TT Problem なる解説の存在を知った。
解説に引用されているNOAAの「熱帯予想センター」の「熱帯低気圧報告」によれば、2000年から2003年までの4年間に大西洋で発達した熱帯低気圧のほぼ半数(57の内26)は温帯低気圧性擾乱から変化している。
不勉強のため北大西洋のこのような事情に全く無知であった。 今後機会を見て大西洋の事例と対比してこの報告補強したい。
注: 使用した図で引用先が無いのは、(株)アルファ・プラネット社のAPLAシステムから作成した。

文献
・原 基、2008:今月のひまわり画像−2008年4月、関東の南海上で急速に発達した低気  圧。天気、55、pp500。
・C.A.Davis and L.F. Bosart,2004: The TT Problem Forecasting the Tropical Transition of Cyclones. Bull. Amer. Meteor. Soc., 85, 1657−1662..
・E.A.Rasmussen,2003: Polar Lows. Chapter 4 of A Half Century of Progress in Meteorology. Edited by R.H.Johnson and R.A.Houze Jr. Published by Amer. Meteor. Soc.
2009年1月20日  山岸 米二郎




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